世界が終わってしまうのが怖いのだと思う。
世界が終わってしまったら、わたしはまた自分の小さな現実に戻らなければいけなくて。だけど、わたしが最後まで見てしまわなければ、その世界は永劫的に宙に浮いたまま終わらないから、わたしはそのあたりを漂い続けられるのだ。
陳情令もまた見終わってしまうのが惜しくて、ここまで引っ張りました。やっと見終えました。ちなみに見終えることができたのは、我慢できずに原作を買ったからです。
原作
我慢できずに買ってしまい、でもドラマを見てから読もうと思っていたのですが、番外編なら……と我慢できずに読んでしまいました。衝撃。
思っていたのより100倍濃厚なラブシーンが出てきてびっっっっくりした。
今までドラマで見たシーンならよかろうと3巻を開いたところ、ちょうど直前に見た25話の夜狩のシーンだったのですが、これまた100倍濃厚なシーンになっていて、輪をかけてびっくりした。あまりにも気になりすぎてじわじわと読む範囲を広げ、細かいところは飛ばしたものの、最後には2人仲良く暮らしましたとさ、というエンドになることを確認したので、やーーーっと安心してドラマを見ることができました。
江澄との確執
「お前が奴ら(温氏)を守れば私がお前を守れない!」という言葉を聞いた時に、江澄は魏無羨を守りたいんだ……と思いました。藍湛→魏無羨はあまりにも献身的な愛で「愛は覚悟」とどこかで聞いたことがあるけれど、まさにそれだ……と思う。反面、江澄→魏無羨もまた愛を感じずにいられなかった。自分の手の届く範囲にいてほしいし守りたい、でもそれは自分の方が優っていることと同義であって、江澄のエゴがそこに垣間見えるのがたまらなかった。
血の不夜天の決戦シーンでも江澄は攻撃を躊躇うし、魏無羨もまた雲夢江氏には攻撃をしないんですよね。魏無羨が献舎された後、積極的に嫌味は言うものの、複雑な表情を見せる江澄……
最後にすべてが明かされるシーンで「雲夢は双傑」といういつかの約束を持ち出して繰り返し魏無羨を責めた江澄を見て、江澄にとって一番引っかかっていたのは結局「魏無羨が自分たち(江氏)よりも温氏を選んだ=裏切った」ということだったのだろうなと思いました。だって、それがなぜだか分からなかったから。途中で2回くらい魏無羨も「江澄がずっとそばにいて藍湛とは相容れないと思っていたのに、藍湛がずっとそばにいて江澄と敵対している」というようなことをしみじみ思っていましたが、きっとそれと同じことを江澄も思っていたのだろうな、と。ずっとそばにいると思っていたのに、すべてを理解し合ってると思っていたのに、自分には理解できない理由で違う道を歩んでいったことが許せなかったのではないかと思う。それで可愛さ余って憎さ100倍みたいな心持ちだったのではないかと。
藍湛が探したのに見つからなかった陳情笛は結局のところ江澄が持っていたのだけど、それを壊さずにずっと持ち続けていたのはやっぱり思うところがあったからなのではないかと思わずにいられない。そして、江澄が金丹を失うことになった流れの真実が切なくて仕方がなかった。江澄なりに魏無羨を愛していて、それゆえに金丹を失うことになったし、魏無羨も彼なりに江澄に対する愛と江氏に対する恩義があって、犠牲を払うことになった。お互いを大事に思っていたのに、それゆえに……
最後に魏無羨に対して何も言えず金凌の前で「達者でな」という言葉を絞りだしていたけれど、あの瞬間、江澄はやっと魏無羨を許せたのではないかと思う。諦めと許し。魏無羨の行動の真意が理解できて、それで、やっと違う道を歩むことを受け入れられたのだと思う。このうまく言葉では言い表せない江澄という人を描いた作者もすごいし、それを佇まいで表した江澄役の汪卓成さんもすごいと思います。
金凌と藍思追
愛に飢えた小悪党の金凌と素直で真っ直ぐな藍思追、可愛すぎる。
船着場で温寧絡みで揉めてるシーン、小学校の学級会かと思いました。
救われなかった者たち
煽りが「道は違えど志は同じ」なので、魏無羨が自分の恩義に沿って歩み始めたあたりからこれがメインテーマなのかなという感じがしていました。正義も悪も紙一重。正義のための討伐だとしても、度が過ぎればそれは悪になるのではなかろうか。あるいは悪とされる側が自分の身を守るために力を使ったら、それは正当防衛ではなく悪いことになるのか。同じ行為も視点を変えたらいくらでも様相が変化する。そういう正義対悪の二項対立がメインなんだろうな、と。古今東西、常に問題とされてきたテーマでもありますよね。それは納得というか、分かりやすさがある。
だから、個人的には薛洋にまつわる話のショックが大きかった。つまり「悪はどこからやってくるのか」という話。
薛洋はこの話の中で(わたしの記憶の限りでは)善行を全く行っていないんですよ。最初から最後まで「悪」として描かれている。だけど、そんな薛洋は魏無羨が通らずに済んだ道の先にある姿だと思うんですよね。
魏無羨は幼い頃に江楓眠が見つけてくれて、江楓眠や江厭離という愛して信じてくれる人に出会うことができた。そして、自身も彼らを信じることができた。だから、それに恩を感じることができるような心根も持つことができた。それゆえに、自己犠牲を払ってまで江澄を救おうとすることができたし、自分なりの正義を貫こうとするのだと思う。
だけど、薛洋には誰もいなかった。飴をくれる人も。自分のために蓮根と骨つき肉の汁物を作ってくれる人も。手を砕かれた時ですら誰も助けてはくれなかった。自分で自分を救うしかなかった。自分に優しくない世界に優しくする必要があるのか、そう思って当然なのではないかと思う。きっと彼にはじめて手を差し伸べてくれたのが暁星塵で、そういう人に対してどう接するのか、彼には分からなかったのではないか。自分の側に引き寄せ、独占し、コントロールしたがったのは愛されたこともない彼の幼稚な愛だったのだと思う。
そして、さらに言えば、全ての黒幕だった金光瑶にも誰もいなかった。実の父には邪険にされ、世の中の人間に笑顔で接しても妓女の子と見下される。おそらく唯一、藍曦臣だけが妓女の子と見下さずに接していて、だから彼だけにはずっと丁重に接してきたのだと思う。だけど、そんな藍曦臣のことも自分を救った聶宗主のことも利用していた。自分の利益のために。
ある時点で救われなかった者たち、救われないことに起因する「悪」。彼らを爪弾きにしたのは「社会」の側で、「社会」が生み出した「悪」という概念がここにあると思う。そういう意味で3人はよく似ている。
魏無羨は生い立ちという面で彼らと同じになりうる可能性もあったものの違う道を辿っていると思うけど、「社会」によって「悪」に仕立て上げられたという意味で、やはり同様に「社会」が生み出した「悪」ということができると思う。この「社会が生み出した悪」という概念もまた、この話のメインテーマだったのでは。
「悪」も裏返せばそこにその人なりの「正義」が隠れているという考えはずっと自分の中にあったのだけど、そうではなく裏返しても「悪」しかないような純度100%の「悪」が「救われなさ」に起因したというのが、どうしようもなく悲しくて、やりきれないなと思った。もし何かが違っていたら。もっと早い段階で薛洋に手を差し伸べてくれる人がいたら。と、わたしは思わずにいられない。
最後の別れ
はじめに書いた通り、原作で最後の展開を読んでいたので突然現れたドラマオリジナルのお別れ展開に動揺しまくって変な汗をかきました。だけど、江澄が直前に「それぞれが帰るべき場所へ」と言っていて、温寧も阿苑もそれぞれが帰るべき場所へ戻り、藍湛にとって「帰るべき場所」は姑蘇藍氏の雲深不知処だからそこへ帰って行くというのは自然な流れなのかも……とも思った。
魏無羨にとって雲夢江氏はもう帰る場所ではなくなってしまい、行く宛がなく旅をするわけだけど、結局「帰るべき場所」に帰ってきたというラストだったのだと思う。このドラマには世家という「お家柄」が存在するし、藍湛も江澄もその生まれだからガチガチに縛られているんですよね。でも、魏無羨は直接そこの生まれではないから、「お家柄」そのものではなく「そこに誰がいるか」が大切。
43話で魏無羨から「俺を信じてくれた人たち」に対する言及があったけど、魏無羨にとって「雲夢江氏」が居場所だったのは「雲夢江氏」という家のネームに対する思い入れではなく、江楓眠や江厭離といった自分を信じ愛してくれる存在がそこにあったから。乱葬崗が居場所になったのも自分を頼る温寧や温情という存在がいたから。
でも、みんないなくなってしまって、最後に「帰るべき場所」となったのは雲深不知処だったのだと思う。そこには自分を信じてくれる藍湛がいるから。藍湛のいるところが魏無羨にとって新たな「帰るべき場所」となったのだと思う。
ブロマンス
結局いい感じのブロマンスで固めてあったけど、製作陣は確信犯でしたよね?
後半部分は原作だとかなりラブが強めなのでかなり展開を変えていましたが、藍湛の胸に刻まれた温氏の焼印が残っていたことと、曲のタイトルをそのまま残していることから製作陣はラブとも取れるように確信的に設定を残していると思いました。たぶんドラマだけ見たらいい感じのバディものとも受け取れると思うけど、原作を読んで見たらこれはラブだなと受け取れる、このギリギリの線を攻めてきたのがうまいですよね。
藍湛の胸に刻まれた温氏の焼印は、魏無羨の死後に酔っ払った藍湛(そもそも禁酒が家訓で絶対厳守だったのに飲酒してる!)が以前魏無羨が受けたのと全く同じ位置につけたもの。これが愛でなくて何ですか。まあ、藍湛が魏無羨と一緒に戦わなかったことを後悔していると告白しているので、正義を貫くことを誓ったのに同じく正義を貫く友と一緒に戦えず彼を失った過ちを悔いて、それを忘れないための自傷行為とも考えられなくないですが……そこまでする……?ドラマ内では一切言及がなかったので、怪しい感じがしますね。
そして、曲のタイトル「忘羨」。
藍忘機の「忘」と魏無羨の「羨」でカップリング名ですけど!?
これもまたドラマ内では言及がなく、ただ50話のタイトルが「忘羨」と。最終話のタイトルとしてこれ以上ふさわしいものもなく、曲のタイトルとしてこれ以上ふさわしいものもないのですが……自分のオリジナル曲に知己の名前をつけるならまだしも、自分の名前と組み合わせちゃうのはどう考えてもただならぬ関係ですよね……
ギリギリセーフともアウトともつかないラインで残しているのが、確信犯的な製作陣の原作も原作ファンもリスペクトして取り込む華麗な手腕だと思いました。そういうところ好きです。
メイキング
あまりにもこの世界と離れ難くて、ちらっとメイキングも覗いたのだけど、これだけの世界を人の手によって生み出したという事実に圧倒される。すごい。
ちなみに役者さんたちを陳情令の役で認識しているので、メイキングで出てくる素の格好を見ると「現代パロだ……」と誤認してしまう。みんな髪が短いよ……